アニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」第8話から、比企谷の名言

アニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」第8話

アニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」の第8話を見て、考えさせられました。
(奇妙なタイトルのこのアニメですが、各回とも考える場所が多いです。)

目次

内容

内容としては、クラスのお友達()から孤立している小学生女子「鶴見るみ」を、同じく孤立高校生の「比企谷八幡」が、助けてあげるお話。
その助けてあげる方法というのが、お友達グループ自体の関係を壊してしまうという方法。
具体的には、高校生数人が演技で小学生グループ(五人)を取り囲み、これから暴力を奮うが、二人だけ見逃す人物を自分たちで選ばせ、それぞれの仲を険悪にしてしまおうというもの。
結果、孤立小学生「鶴見るみ」がグループを助け逃走に成功したことは予定外だったが、不幸の押し付け合いをしたグループは仲が険悪になり、目的は達成。

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比企谷八幡の名言

特殊であるということについて

特殊で何が悪い。英語で言うとスペシャルだ。なんか優れてるっぽいだろ。

同級生の八方美人な女の子から、比企谷は特殊だと言われた時の返答。
うまいこと言うなあ~(笑)

友達の大事さについて

(小学校一クラス30人で、今でも会うのが1人か2人)ということは、卒業の5年後も友達やってる確率は3%から6%ってところだ。
八方美人の由比ヶ浜結衣ですらこの確率だぞ。
いいか、常人の場合は八方美人じゃなく、なんとなく二方美人くらいだろうから、4で割ったらだいたい1%だ。
1%なんて誤差だ。切り捨てていい。
四捨五入という名台詞を知らないのかよ。

孤立している小学生に、今の同級生グループが大事ではないことを説く。
これは本当にそう思うが、卒業してしばらくしないと実感できないし、あまり誰も説明してくれない事実。

小学校の環境について

鶴見るみ「でも、お母さんは納得しない。いつも、友達と仲良くしてるかって聞いてくるし。
林間学校も沢山写真撮ってきなさいって、デジカメ・・。
それに、シカトされると自分が一番下なんだなって感じる。
ちょっとイヤだな。みじめっぽい。
でも、もうどうしようもないし。
私、見捨てちゃったし、もう仲良くできない。
仲良くしても、またいつこうなるかわかんないし。
なら、このままでいいかなって。」

そうか、この子はもう見限ったのだ。
自分が変われば世界が変わると言うが、そんなことはない。
人が人を評価するのは固定観念と印象だ。
ぼっちはぼっちであることを強要される。
なにかを頑張って目立てば、攻撃の材料にされるだけ。
それが、子供の王国の腐りきったルール。

子供の王国の腐りきったルールを生み出してるのは、子供だけの世界を作ってしまっているところだと思う。
生徒それぞれが、(ちゃんとした)大人とコミュニケーションを取る機会があれば、この問題はある程度解消できるように思える。
常識や倫理観を、大人から学ぶことができるからだ。
近所の人でも、お店の人でも、親戚でも、ネット上でもなんでもいいから、ちゃんと成長した大人とコミュニケーションを取るべきであると思う。

大人とのコミュニケーションを学校に求めることはあまり期待できない。
学校の先生であっても、(人によるが)大学から直接先生になる場合が多く、ずっと学生に囲まれて生きてきたので、精神や倫理観がうまく成長していない場合が多いと思う。
学校に就職、つまり教職員になった後であっても、子供のような上司に巡り合う確率も高いと思われる。
連鎖的に成長途中状態の人間が、多く学校にいることになってしまう。
学校に大人がいない状況が、「子供の王国の腐りきったルール」を作り出しているのではないだろうか。

揉め事の解決策

人間関係に悩みがあるなら、それ自体を壊してしまえば悩むことはなくなる。
みんながぼっちになれば、争いも揉め事も起きない。
人間、本当に怖い思いをしたら、人の事なんて考えていられない。
周りの人間を犠牲にしてでも助かろうとしたがる。
そんな醜い部分を晒したら、もう仲良くなんてできない。
そうやって連中をバラバラにしてやればいい。

孤立している比企谷だからこそ思いつくアイデア。
悩んでいるもとになっている、小学生グループを解散させてしまうというもの。

同調圧力について

逃げちゃだめなんて、教師の考え方でしかない。
いつも自分が悪いなんてことはない。
社会が、世の中が、周囲が、誰かが間違っていることだって沢山ある。
自分は変えられる、なんてのはそのゴミみたいな冷淡で残酷な世界に順応して、負けを認めて隷属する行為だ。
綺麗な言葉で飾って自分すら騙している欺瞞にすぎない。

「自分が変わって、みんなと仲良く」
自分が悪ければそれでいいが、悪くなければ変わる必要はないだろうという考え。
「そんなことでは社会に出てから大変だ」と言う声も聞こえそうではあるが・・・。
かと言って、悪意ある者に変わることを強要される必要はない。
悪意ある者こそ、変わるべき存在であることは間違いない。

友情の真偽について

誰かを貶めないと仲良くしてられないのが、本物なわけねえだろ

「協力してなにかをする」ことの矛先が、歪んだ方向にいってしまうと、そうなってしまう。
共同作業、共通の敵、秘密の共有は、仲良くする特効薬だと思うが、どうせならそれを自身の成長といった、プラスの方向に使うほうがいいと思う。
それをうまく促すのが、大人の役目なのではないだろうか。

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